〜 Ceremony of the Yayori Award 2006 〜
贈呈式でのスピーチ

やより賞  維京さんスピーチ 原文(pdfファイル)

 何より、光栄なる松井やより賞をいただくことになり、とてもうれしいです。
正直に申し上げますと、自分がこの賞をいただく資格があるのかと、とても恥ずかしく思います。自分が松井やよりさんのご活動とご遺志を称えるこの賞をいただけるほど熱心に生きてきたのかと振り返させられます。このような光栄なる賞を下さった審査委員の方々に、そして受賞を祝って下さったたくさんの方々に心から感謝の意をお伝えします。

 この賞をいただくようになった最も大きい理由は、過去14年間起きてきた米軍の犯罪による被害、そして聖域と扱われる韓米同盟により、多くの人々の人権と尊厳が破壊されてきた現実を告発してまいりました「在韓米軍犯罪根絶運動本部」の歴史が背景にあるのではと思います。
 その歴史は多くの女性、社会的な弱者の苦痛に満ちた声とそれを理解し、伝えようとした活動家の勇気で満たされています。過去14年間運動本部で活動した方々が、大体女性だったということはこの運動の難しさと現実を語ってくれます。

 私が松井やよりさんにお会いすることになったのも、厳しい環境の中で、軍事主義に対抗してきた女性ネットワークを通じて可能になったのです。軍事主義に反対する東アジアムアメリカムプエルトリコ女性ネットワークの第4回の国際会議・ソウル会議でたくさんの女性活動家とお会いし、お互い励まし合い、情報やプランを語り合った場で松井やよりさんにお会いしました。中年の女性の方でしたが力強い発表や提案をなさっていたその姿は今もあざやかに目に浮かびます。しかし、当時、私は会議の準備を担当することもあって、松井やよりさんと直接お話をする機会がありませんでしたので、どのような方なのか細かいところまでは知ることができませんでした。その会議の後に、松井やよりさんがご闘病生活をお送りになり、再びお目にかかることができなかったことについて、多くのもどかしさと悲しみを感じております。

 しかし私はジョン・ユジンさんと宮内秋緒さんのお陰で松井やよりさんに再会することができました。松井やよりさんのお書きになった韓国語版の本が、この二人の翻訳により出版されることとなったからです。1995年北京女性会議の話からはじまるこの本には、松井やよりさんがアジアの女性たちに会いながら、彼女たちへ抱いていらっしゃた愛情や連帯の力を感じることができました。
 軍隊の暴力や戦争の苦痛について証言する女性たち、開発や家父長制に強要された貧困を克服しようと、自治と共同体を掘り起こしていく女性たち。松井やよりさんの文章には被害の女性たちが自分の苦しみをどのように言語や行動に表現し、そして抵抗しているのか細かく記述されていて、それを読みながら彼女たちの勇気や知恵に深い感動を覚えました。また、松井やよりさんの勇気にも尊敬の意を表したいと思います。日本という名の下でアジアでなされた暴力を告発し、常に被害者の女性たちの立場で考えようと努力した松井さんの文章には、みえない悲しみや苦痛が含まれています。これまでのところ私は韓国という名の下でアジアにあるいは他の地域の女性たちに振るわれている暴力に目を向けるようなことはできない状態です。米国という名の下で韓国で起き続いている犯罪や暴力に対してちょっとした声をだすことがやっとのところです。こんな私に松井やよりさんの文章は勇気と謙遜を教えてくれるのです。

 改めて松井さんに再会する機会を下さったジョン・ユジンさんと宮内秋緒さんに深く感謝します 。また、軍事主義に反対する女性ネットワークを築いてきたマゴオカザワレイ、クエン・カック、ユ・ヨンニム、アン・イルスンさんなどたくさんの女性たちに感謝致します。
 この方々の努力がなかったら、おそらく私はすでにこの活動を諦めていたと思います。60年間の米兵駐屯の歴史では、犯罪と暴力、訓練による民間人被害と環境汚染、米軍基地による個人の財産権や生存権の侵害など多くの被害が発生してきました。このような被害がまともに解決されない原因としては、駐韓米軍地位協定(SOFA)により、米軍が法的に保護されていることと、韓国社会に根づかれている聖域としての韓米同盟が取り上げられます。

 韓米同盟を通じて朝鮮半島の平和が維持されるべきだと考える側は、駐韓米軍から被る被害や人権侵害についての問題提起について、不純な意図があると攻撃します。聖域にされた韓米同盟のために、梅香里(メヒャンリ)の住民は爆撃の騒音を我慢すべきだとされたし、老斤里(ノグンリ)の住民は虐殺の痛ましい記憶を持たれたまま生き延びてきましたし、暴力と犯罪に苦しめられてきた基地の村の女性の苦痛は避けられないものだとされてきました。

 米軍に安全な休憩と娯楽を提供するという名分で基地の村が作られ、運営されてきましたが、ここで起きている女性たちへの人権侵害は駐韓米軍の安定的な駐屯のため、引き受けなければならないものとして強制されます。ユン・クミさんの殺人事件、ホ・ジュヨンさんの放火殺人事件、イ・キスンさんの殺人事件など、基地の村の女性たちが殺された後、殺人者の米兵を処罰しろという社会の世論が拡散されると、一部では基地の村の女性の死のために韓米同盟が脅威にさらされてはならないといい、事件を縮小・隠蔽しようとします。このようなことがあるから日常的な暴力や強姦、詐欺などの犯罪は警察に届けても、まともに処罰されなかったし、かえって女性たちのせいだとされます。だから、女性たちは警察に届けて侮辱を受けるよりは我慢するのがましだとあきらめます。

 殺人事件のうち、解決されてない事件の多くを基地の村の女性の被害が占めることは、つまりこのような現実を反映するものです。警察の消極的な態度、世論の無関心、米軍の非協調的な態度は、基地の村の暴力を放置する結果を生みましたが、基地の村の女性の人権保護のために活動する市民団体の長い活動のため、数十年間疎外され、沈黙させられてきた基地の村の現実があらわになってきましたし、また、わずかながら、女性たちの人権保護のため、政府や警察が努力するようになりました。

 女性たちに対する犯罪を処理する過程で、警察や韓国政府が消極的な態度をとるのは、社会の世論の反映でもあります。メディアは極悪な暴力でない場合、あまり報道することはありませんし、被害にあった女性が純潔か、またどれぐらい誠実に、あるいは、きびしく生きてきたかと、過去を問うことになります。女性に対する暴力の加害者の処罰をめぐる論争だけではなく、被害者の女性のアイデンティティについての論争、どのような女性だったかという論争も引き起こされます。

 2005年11月1日フィリピンのスービック自由港の周りのクラブで起きたフィリピン女性に対する米軍海兵隊員たちの強姦事件をみながら、一番もどかしく感じていたことは、ほかでもなく、被害者女性についての論争でした。売買春をしたかどうか、なぜ米兵に付いて行ったのか、抵抗したならば十分逃げられる状況だったなどなど。加害者の米軍に対する起訴と裁判など処罰の手続きを前にして、被害女性に対する非難と論争が新聞の記事に載せられたことを読みながら、勇気を出して証言した女性がどれぐらい苦しいだろうかについて考えてみました。

 そして一部のメディアでは、米軍の駐屯によってスービックの地域経済がよくなるのに、今回の強姦事件で米兵たちが自由に活動できなくなって、経済が萎縮されたという地域住民のインタビュー記事が載せられました。強姦事件を縮小・隠蔽しようとする悪質なメディアの報道だったのですが、それもやはり現実の一部だと思いつつ、果たして軍事同盟と経済の活性化という名分の下に、基本的な人権の擁護というものが無視されるしかないのかと問い直さざるを得ませんでした。

 過去、米軍基地は軍事同盟を象徴する印だったのですが、最近では経済開発の機会とみなされます。平澤(ピョンテク)に米軍基地を拡張・集中させながら、大楸里(デチュリ)、棹頭里(トドウリ)の住民たちの意思とは無関係に 、住民たちの家と土を奪う事件が起こりました。韓国政府は米軍基地を平澤に拡張するかわりに、平澤市に多くの投資と開発を許可しており、平澤市長と市民の一部はこれをチャンスだとしながら米軍基地を受け入れ、より多くの特恵や投資を引きつけようとしています。梅香里にある米空軍の爆撃場が閉鎖される代わり、群山ジクドの射撃場で米軍の爆撃訓練ができるように施設を備えようとしていて、これに地域の市民と群山市が反対したら、結局韓国政府は3千億ウォンを支援することにして、これを群山市が受け入れながら、ジクドの射撃場を米軍が使えるように施設工事をすることに到ったのです。

 南北交流が活発になり、朝鮮半島の平和のため米軍が駐屯すべきだという主張がだんだんその名分を失ってきたら、今度は経済的利得のために、米軍の基地を受け入れるという名分と変わってきています。米軍基地は犯罪と暴力、環境汚染など社会的な問題を起こすところだと認識されることになり、基地そのものとしてはこれ以上歓迎されない存在となりました。
 大都市にある基地が返還されることについて歓迎し、経済的な利得がないと米軍基地を受け入れることはできないという立場がとられます。だから、どこに行っても歓迎されない米軍の安定的な駐屯のためには経済的利得がよく語られているのです。しかし、軍事同盟として韓米同盟の影に被害者の声が抑圧させられてきたことと同様に、経済的利得として韓米同盟の維持のため、再び力のない人の犠牲が強いられているわけです。

 米軍が撤退すれば北朝鮮が攻撃するという主張より、外国の資本が韓国から離れるという主張がもっと説得力をもって広まっておりますし、米軍基地を受け入れる代わり、地域により多くの利益をもたらすことができ、米軍により起こされる犯罪や被害はあらかじめ予防することができると言われます。このような主張は大体開発者によるもので、結局米軍基地により土を奪われる農民や暴力に敏感な女性たちの主張は、ぜんぜん受け入れられていません。
このような論争の中、米軍基地の再配置が行われており、基地の村の女性はまた異なる種類の難しい状況に置かれています。社会から背を向けられながら、数十年を生きてきた基地の村は、米軍基地特別法により開発がなされながらとうてい現在の生計費では生きていけない町となりつつあるからです。

 特別法には基地の村の女性を支援する内容はありませんので、今までの生き方では、とんでもなく上昇している家賃や物価についていけなくなり、生計が立てられない状況です。米軍基地の供与あるいは返還が予想されている周辺地域を支援するために作られた特別法であるにもかかわらず、女性たちの支援は全然考慮されないまま、開発のための特別法を作ったわけです。
 米軍基地のため起こった被害が何であり、そのため、保護されるべき対象が誰かということは検討されていないのです。結局女性たちは米軍の駐屯している間にも、そして立ち退く過程においても被害者として置き去りにされています。

 米軍による暴力から人権を保護しなければならないと掲げた14年間の運動本部の活動で多くの変化が生まれました。SOFAの部分的な改正や米軍基地の環境問題についての関心の増加、韓国の裁判権の行使率の増加、米軍基地から被害をうける人々についての補償など、遅ればせながら、ちょっとずつ変化が見えてきております。

 私が今回やより賞をいただいくことになったのは、このような活動を奨励し、また勇気づけてくださるものだと思います。また力を出せるように励まして下さるもので、また連帯するものだと思います。女性たちの励まし合いと連帯で、人権の価値、平和の価値が、私たちの日常の中で生きる価値となるようにお互いがんばりましょう。ありがとうございます。

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やよりジャーナリスト賞 山本潤子さんメッセージ

 はじめまして。このほどジャーナリスト賞をいただくことになりました山本潤子と申します。
 旅行者でしかありませんでしたが、今年、訪れ、印象に残った場所の話しを交えて、ご挨拶に代えさせていただければと思っています。
 夏と冬に2度ほど、米軍基地の拡張により立ち退きを迫られている韓国・平澤(ピョンテク)市の大秋里(テチュリ)という集落を訪れました。入り口は封鎖され、住民以外の立ち入りを防ぐため、軍人や警官が常時、監視しています。田畑の周りには鉄条網や深い溝が作られ、農民達の立ち入りを妨げ、生活の糧を奪い、暮らしの足元を脅かしています。
 仕方なく立ち退きに応じ、主を失った家々は支援者が住みつくのを防ぐため、見事に破壊されています。空爆を受けたように破壊された家々に囲まれ、残った住民は日々の暮らしを続けています。テレビでしか見たことの無いパレスチナの風景が頭をよぎりました。そして、20分も車を走らせれば、こうこうと明かりのともる市街地が広がります。 

 テチュリで見た風景も驚きでしたが、それ以上に、封鎖された集落の外に広がる普通の街と普通の人々の屈託の無さ(その中には自分も含まれますが)の落差に消化出来ない思いを抱えました。そのとき、以前、「在日朝鮮人問題」という言い方をした私に、「それは、在日朝鮮人問題ではなく、日本人問題じゃないのか」と返した友人の言葉がよみがえってきました。テチュリという場に象徴される米軍基地問題は、圧倒的多数の無関心の側が作り出している問題ではないかと。テチュリを撮影してきた監督が「ここは孤島だ」と言い当てていましたが、米軍基地問題だけに限らず、心身ともに有形無形の暴力にさらされる当事者が、互いに切り離され、孤島のように世の中に存在しているのではないでしょうか。

 「孤島」といえば、韓国には基地村という基地の周りに広がる米兵相手の飲食店街があります。米兵によって、そこで働く女性が惨殺されたことをきっかけに韓国では米軍犯罪、米軍基地問題に光が当てられました。韓国の女性達の運動は、事件を「保護すべき民族の娘が被害を受けた」とするのではなく、女性への暴力の問題として問い直し、米軍基地問題だけではなく暴力や差別に支えられた軍事文化そのものを問い直す動きを見せています。
 南北分断という緊張の最前線にあり、個人の可能性や多様性の前に軍事文化が頑強に立ちふさがる韓国という場だからこそ、根本的にとらえ直さざるをえないのだと思います。韓国の女性達の闘いは、再度、軍事化の最終段階に入りつつある日本の人たちに、問題解決への確かな道筋を示してくれると思います。
高維京さんのような平和運動家は、基地村やテチュリのような「孤島」と陸地の回路を結ぶべく荒波の海を渡るように表に立って活動されています。今回の作品では、高さんという船を頼りに、「陸」と「島」の人たちが結び合える場を作り出してゆきたいと思います。また、ピョンテクでは、いろいろな人に会いました。集落の子ども達に毎週、外部からピアノを教えに来る高校生、競争だけの企業社会に疑問を感じ、退職し運動家になった男性、反戦アートを描く芸術家ノ。皆が自分の出来ることを持ち寄り、問題解決にあたっていました。小さな場所に芽生えつつあるもうひとつの価値観に大いに勇気づけられました。

 今回、志と技に支えられたジャーナリストとして、苦境に置かれた人たちに寄り添いつづけた松井やよりさんの名前を冠した賞をいただき、非常に身の引き締まる思いとともに、今後のライター活動の大きな励みとさせていただきたいと思っています。また、今回の作品制作は、高さんが取り組む米軍基地問題をはじめとする日韓共通の問題の解決に心を砕く、若い世代との協力なしには成り立ち得ないものになると思います。作品づくりを通じ、日本と朝鮮半島のあいだに、差別と暴力ではない、新たな回路を見出す可能性に力を尽くしたいと思います。

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